Profile

YURiKO JOHNSON | Life Artist
ユリコ・ジョンソン|ライフアーティスト 
ニックネーム:RiKO
夫デイヴィッドとALOHA STYLE主宰

『理想のライフスタイルと自己実現の両立』
お手伝いしています。

 

ハワイ島コナでアロハ的ゆたかな暮らしをし、
写真家、イプ(ハワイのひょうたん)作家の顔も持つ、
生き方全てで自分を表現するライフアーティスト。

 

…しかし、これまでずっと順調だったわけでは
決してありません。

 

どちらを向いても行き止まりで、
私の人生どうなってしまうのかと
悲観にくれた時期もあります。

 

そんな窮地に陥ったことが
今の私へと変容するきっかけとなりました。

詳しい経緯はこちら

 

そんな自らの経験をもとに

  • 本当は、もっと違う自分を生きたい
  • 自分らしい表現活動(仕事)で成果を出したい
  • 忙しくても自己実現を諦めたくない

という方に向けて、

ライフコーチングをベースとした個人セッション
アーティスト/ヨガマスターの夫デイヴィッドとともに
ヨガや瞑想、食などホリスティックなアプローチで
ココロとカラダを整えるハワイ島リトリート

などをご提供しています。

 

プライベートでは夫婦でアメリカ各地の
秘境をキャンピングカーでロードトリップ。

 

毎回、旅から大いにインスパイアされて
2017年にはセドナでもリトリートを開催。

2018年にも開催

一つひとつ、経験から得たことを新たなリソースに
オンリーワンのユニークなプログラムをお届けしています。

 

さらに、ハワイ島で暮らすように滞在できる
バケーションレンタル(貸別荘)の
バケーション/リトリートハウス IPU HALEも運営しています。

 


自己紹介

 

なんで私がこんな目に…

私は京都の呉服屋の末っ子長女として
円満な家庭に生まれ育ちました。

 

が、大学生になった年の秋に突然、
父が難病に倒れ、暮らしは急変。

 

専業主婦だった母が、右も左も分からないまま
父の会社を引き継いで、慣れない仕事と看病の毎日に。

 

私はというと、青春を謳歌する友人たちを横目に
否応なく家事全般をすることになりました。

 

これから我が家はどうなっていくんだろう…
なんでうちの家族が、私が、こんな目に…

と、大きな不安と不満をつのらせるのでした。

 

自分が変わると世界が変わった

そんな暮らしが一年ほど続いた頃だったでしょうか。

父の病状によい兆しは一向になく
どう考えても現実は厳しいと認めざるをえませんでした。

 

そうなって初めて私は、腹をくくったんです。

 

泣いても、愚痴を言っても、現実は変わらない。
だったら泣くのも愚痴を言うのも、やめよう。

これを試練と受け止めて、将来の糧とするんだ、と。

 

そう決めた瞬間から、同じ毎日なのに
苦労と思っていたことが苦労と感じなくなりました。
不満に思っていたことも、消えてなくなりました。

 

心のもち方、マインドセットひとつで
住む世界が大きく変わることを身をもって体験しました。

 

この強烈な学びは、
父が命を賭して私に教えてくれたと感謝しています。

 

このままでいいのか?と自問し続けたOL時代

私が社会人になってひと月後に亡くなるまで
父の闘病生活は4年近くにおよびました。

 

父をおくり、ある意味肩の荷が下りた私は
学生時代にできなかったことを取り戻そうとしました。

 

自分の時間を自分のために使える喜び。
とっても新鮮でした。

週末ごとにスキーに明け暮れ、仕事はそこそこに。

 

もともと腰かけのつもりで普通のOLになったので
仕事人として何をしたいというビジョンもなく。

(お恥ずかしいかぎりです。)

 

花のOL生活(死語!)を地でいく一方で、
これ!という夢に向かって邁進したり
自由に羽ばたく人に、強いあこがれを抱きました。

 

が、気ままで安定したOL生活を手放す勇気も、
また、そうしてまでも打ち込みたい「何か」もなく、ズルズルと…。

 

そのうち結婚でもすればそんな葛藤も消えるはず、
なんて根拠のない期待に賭けていました。
「本当にこのままでいいの?」という思いにはフタをして。

 

しかし恐ろしいことに、
その後10年も私の暮らしは変わりませんでした。

 

911テロで見た自分の本心

結婚して夫や子供に必要とされる立場でもなく
大きな仕事をして社会に貢献しているわけでもない。

 

将来への不安や焦りは、
時の流れと比例して大きくなるばかり。

 

私はショッピングや旅行で気を紛らわせるのでした。

 

ただ、2001年9月11日。
同時多発テロ事件(911)が発生。

 

相変わらずOLだった私は偶然そのとき
アメリカ・フロリダ州を旅行中でした。

 

直接テロに巻き込まれなかったことは、
本当に幸いとしか言いようがありません。

 

が、帰国までの道のりは困難の連続でした。

 

細かいことは省きますが、
恐怖と不安のなか、全身全霊フル回転させて
帰国のための最善をつくしました。

 

なりふり構わず、今よりうんと低い英語力で体当たりで。

 

結果、身体は無事、関空に到着。
しかし、大混乱の空港で預けたスーツケースは出てきませんでした。

(後日、手元に戻りましたが。)

 

手荷物ひとつで京都まで帰る車中。

 

一連のことを振り返って、
われながら、よくやったと思いました。
私のなかにこんなチカラがあったとは。

 

ワタシ本当はもっと羽ばたけるかも…!
羽ばたきたいっ!

 

このときまで長らく、ないことにしていた
自分の《未知なる可能性》。

 

それは、あるのかもしれない。
あるなら、開花させたい。

そんな素直な気持ちに気付きました。

 

そして、逃げも隠れもできなくなった

しかし、だからと言って、
それだけで人生が変わるはずはありません。

 

しかも今度は、母が鬱病を発症。
私は毎日200%のエネルギーを看病に注ぎました。

 

が、そんな無理が長続きするわけはなく
過度のストレスで、私まで鬱に…。

 

もう私は、母にズタボロにされた悲劇のヒロイン。

 

父の看病のときはポジティブに切り替えられた気持ちも
心が病んでは切り替えることなどできません。

 

大人として、社会人として、
当たり前の生活がままならなくなって
毎日泣き暮らしました。

 

けれどある日、気づいてしまったんです。

 

ストレス源が、たとえば仕事とか、
母の看病以外の何かだったとしても
やはり私は鬱になっていた、と。

 

ということは、
鬱になる素因を私が持っていた、
鬱の原因は私にあったということ…!

 

もう母のせいにすることが、できなくなりました。
逃げも隠れも出来ません。

 

なぜ私は鬱になったのか?
私の何が、そうさせたのか?

この答えを見つけない限り、
たとえ薬で症状を抑えたとしても
根本的に鬱とサヨナラは出来ないと
直感的に悟りました。

 

それで、
長年避けてきた自分の見たくない部分とも向き合い
沢山の「?」を抱えて、自分の深いところへ
一段、また一段と降りて行ったのです。

 

忍耐の要る、重苦しい作業でした。
前進したつもりでも、気がつけば
同じループを堂々巡りしていたこともあります。

 

それでも諦めなかったのは、本気で鬱と決別したかったから!

 

こうして、少しずつわかってきたのは、
それまでの私は

  • 自分を変えようとせずに周り(環境)を変えることで
    問題を解決しようとしていた。

 

  • 自分の人生なのに、自分で責任をとる覚悟がなかった。
    だからリスクを取って生き方を変えることができなかった。

 

  • 母の期待に応え、母の価値観で生きて母のコピーになろうとしていた。
    そのために私らしさを抑えていた。

 

  • そして何より、世間から「一人前」「あの人幸せね」と
    認められることが私の幸せと勘違いし、それを求めていた。

 

要は、自分の人生を生きてない!ということでした。

 

ただ、そうアタマでは理解できても、
そう簡単にスッパリと自分を変えることはできなくて…。

 

ハワイ島での出来事

そんな折、初めてハワイ島を訪れました。

 

不思議なことに、豊かな自然に囲まれて
ただそこにいるだけで、
それまで経験したことのない幸せ感が
ジュワーっとこみ上げてきたのです。

 

昨日までと同じ普通のOL・シングルだけど、ワタシ幸せ!!!

 

ずっと外へ探しに行っていた幸せは、
本当はすでに私のなかにあったのですね。

 

号泣!号泣!また号泣!

この時ようやく、長年しがみついていた
つまらないこだわりや古い価値観などを
安心して手放すことができました。

 

身も心も軽くなって、
すーっと浮上していくようなあのときの感覚。
今も忘れられません。

 

それ以降、まるで憑き物が落ちたように鬱も治りました。

 

動き始めた人生

こうして私らしさを取り戻すと、
必要にして必然な変化が起こり始めました。

 

私は、答えを自らの内に見つけた経験から、
「答えはその人が持っている」とする
コーチングの考え方に共感し、ライフコーチになると決めました。

 

コーチングと合わせて心理学など新しい分野を学び、
新しい友達の輪も大きく広がりました。

 

OL生活にピリオドを打つと、
これが夫デイヴィッドとの出会いにつながったのです。

面白いことに、打ち込める仕事も結婚も、
手放すと難なく手に入るのですね。

 

もちろん、ライフコーチへの転身も
国際結婚も母国を離れることも、
すべて自分の責任で決めました。

自分の人生ですから。

 

そして今、気がつけば
ハワイ島でアロハ的ゆたかな暮らしをしながら
写真やイプなど、創作や表現活動までしています。

 

このような人生の展開に、いちばん驚いているのは
ほかでもない私自身です。

 

一方で、911直後の「もっと羽ばたきたい!」
という、あの直感的な思いに対して
責任を果たせたようにも感じます。

人生にムダな経験はありません。
何かをするのに遅すぎることもありません。

 

鬱など辛い経験もしましたが、そのおかげで今の私があります。

 

忙しくても「大切なもの」をあきらめないで

私は今、他の誰かではなく、
《私の》人生を歩んでいる手応えがあります。

 

おまけに、やってみるとそれは
《とってもラクな生き方》だとわかりました。

 

誰でも本気で望めば、その人にフィットした
納得いく生き方ができると信じています。

 

ただ人それぞれ、与えられた環境は違います。
簡単に変えられる現実もあれば、
そうでない現実もあるかもしれません。

 

しかし、「私にはどうせ無理」
と言ってしまったら、
その時点で全ての可能性が閉ざされてしまいます。

 

たとえ忙しくても、制約があったとしても、
やり方次第で、夢やこだわり、暮らし方など
その人にとっての「大切なもの」を
大切にする生き方は、実現できると思っています。

 

ただ、私がそうであったように
本人には、何をどうすればいいのか
なかなか見えないのも事実。

 

同じ道の少し先を歩いてきた者として、
また、ライフコーチとして10年あまり
クライアントさんと向き合ってきた者として
そのような方のお役に立ちたい。

 

同じ喜びをシェアできる輪を広げていきたい。

 

そんな思いでセッションやリトリートをしてます。